織物のまち 中能登町
織物のまち中能登町の歴史を辿る
中能登町は約二千年前から続いている織物の産地です。当時の天皇である崇神天皇(すじんてんのう)の皇女、沼名木入比賣命(ぬなきいりひめのみこと)がこの地に滞在した際に、麻織物を教え広めたのが始まりとされています。
麻の織物は、江戸時代後期に近江の国から技術を導入して発展し、その上質さが認められて「能登上布」の称号が付けられました。
そうした能登上布の歴史的な背景を礎として絹の織物業も始められ、人絹(人工的につくられる絹のような繊維)へと転換されてゆき、現在の中能登町では主に様々な化学合成繊維がつくられています。
中能登町でつくられる繊維は代表的なポリエステルやナイロンから、天然により近い質感を持つ合成繊維、和紙を利用した繊維、スポーツ等に特化した機能的に優れた繊維、車のシートや防水シート等の産業用繊維等々、そのすべてにおいて質の高い繊維素材を、国内はもちろん世界各国に提供しています。
このように、化学合成繊維の分野ではとても高いレベルの技術力を持っている繊維の産地として、世界的にも知られています。
【年表】能登上布などの主な歴史
1世紀初頭
1世紀初頭
能登上布の起源
崇神天皇(すじんてんのう)の皇女が現在の中能登町に滞在した際、この地に機織りを教えたことが始まりと伝えられている。 能登比咩神社(中能登町能登部下)社伝の中に「人皇十代崇神天皇皇女 野生の真苧(まお=苧麻。カラムシのこと)を自ら紡ぎその織技を伝授せり 里人の婦女子これを伝承せり」の一文がある。 その後、江戸時代に近江(現在の滋賀県)から技術を導入して発展し、昭和初期には麻織物では全国一の生産高を誇った。1877年
1877年
「能登縮」本格生産へ
12月に設立された能登製布会社により「能登縮」(能登上布の当時の名称)の本格的生産への道が開く。1904年
1904年
「能登上布」に名称決まる
鹿島麻織物同業組合が設立。正式に「能登上布」と名称が決まる。1960年
1960年
能登上布が石川県無形文化財に
能登上布が石川県指定重要無形文化財に指定され、伝統文化的存在となる。当時織元7軒で年間約1万2千反の上布を生産した。1996年
1996年
伝統を保存継承
6月、伝統産業である能登上布の保存と継承のため能登上布会館が開館。会館では、布を織る行程の見学や機織りの体験ができるほか、着尺、のれん、テーブルセンター、巾着などの小物を購入することができる。2005年
2005年